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新宿の歴史
今から3〜400年ほど前、慶長5年(1600)、五街道の整備と共に甲州道中が整備されました。
甲州街道は信濃国(現在のの長野県)・上諏訪から江戸・日本橋までの道のりが53里2町23間(208.5km)、この街道には44の宿場がありました。しかし、江戸・日本橋から高井戸宿まで4里(約15km)と遠かったため、元禄11年(1698年)江戸浅草阿部川町の名主・喜兵衛(のち喜六)らが江戸・日本橋から2里の茅野原だったこの辺りを開発し、元禄12年(1699)2月に45宿目の新しい宿場が開設されました。
その宿場町の一部が内藤家(※1)の屋敷地だったことから、内藤新宿といわれました。これが「新宿」という名の根源です。また、この中屋敷跡が現在の新宿御苑であり、御苑のある地名も「内藤町」となっています。
※1 内藤家
徳川家康が江戸に入って間もない天正18年(1590)9月、家康の鷹狩に同行した内藤清成は、江戸西郊の地21万3000坪(約70万平方m)を拝領しました。この地は後に次第に減少するものの、代々内藤家の屋敷として使用されました。
江戸時代が終わると同時に、新宿等の四宿の関門中廃止がなされました。しかし「内藤新宿」の役割は変わらず、商業や娯楽の場として発展し続けました。
明治時代になると江戸という名称は東京と改まり、明治18年(1885)に日本鉄道品川線(赤羽〜品川)が開業し、追分(※2)に新宿駅ができました。「内藤新宿」は南豊島郡内藤新宿町から、豊多摩郡内藤新宿町へ、そして大正9年(1920)に東京市四谷区に編入され、「新宿」となりました。
※2 追分
甲州街道と青梅街道の分岐点
参考資料:新宿歴史博物館所蔵『内藤新宿の町並とその歴史』『江戸四宿』

新宿の街並み
東口
新宿駅東口はデパートや専門店・飲食店などが密集し、昼夜を問わず賑わっています。 また、新宿の繁華街の東端には、新宿御苑があり、四季折々の草花を楽しむことができる東京都内有数の庭園として親しまれ、新宿三丁目には、新宿末廣亭といった寄席もあります。
西口
新宿駅西口は、1950年代頃までは西口には十二社池(じゅうにそういけ)といった大きな池があり、戦前までは東京近郊の行楽地でした。1965年には西口にあった淀橋浄水場が東村山市に移転し、その跡地に1971年の京王プラザホテル等の超高層ビルが次々と建設され、新宿副都心と呼称されるようになりました。 また東京都庁が1991年に有楽町からこの地に移転し、都心部に次ぐ商業集積地となったのです。

新宿の交通
新宿駅の利用者
2004年度の1日平均乗降客数は合わせて約346万人(西武新宿駅を含む)にも及び、世界第1位です。
- JR:約150万人 - JRだけでなく、日本の全鉄道会社の全駅の中でも1位。
- 小田急:約48万人 - 小田急の駅としては1位。
- 京王:約71万人 - 京王だけではなく、JRを除く全国の事業者の同一の駅の中で第1位。
- 都営新宿線:約23万人
- 都営大江戸線:約10万人 - 両者を合わせた33万人の乗降客数は、都営地下鉄の中でも1位。
- 東京メトロ丸ノ内線:約24万人 - 東京メトロの中では5位。
- 西武新宿駅:約19万7,000人 - 西武新宿線の駅では高田馬場に次いで2位。(西武の中では、池袋・高田馬場に次いで、3番目)
利用可能な鉄道路線
東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 山手線
- 埼京線
- 湘南新宿ライン
- 中央線(快速)
- 中央・総武線(各駅停車)
小田急電鉄
- 小田原線
京王電鉄
- 京王線
- 京王新線/都営新宿線と直通(新線新宿駅)
東京都交通局
- 新宿線(駅番号S-01)/京王新線と直通
- 大江戸線(駅番号E-27)
東京地下鉄(東京メトロ)
- 丸ノ内線(駅番号M-08)



